自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
■まず、私たち「横浜教科書研究会」のこと、そしてこれまでのとりくみについてご紹介します。
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幕藩体制の動揺と改革(Vol.2)

幕藩体制の動揺と改革

39 享保の改革から田沼政治へ」,「40 寛政の改革と天保の改革」116~119頁

ここで学びたいこと

1 農村の変化 幕府の支配が揺らぎ、諸改革が必要となった背景を考えてみましょう。授業の導入として、右のグラフを生徒に示してみましょう。江戸初期、村では10~20石未満の中農などの本百姓が中心であり、幕府の年貢収入を支えていました。当時は、自給自足的な生活が中心でした。しかし、17世紀以降、貨幣経済が浸透すると、幕府を支えていた本百姓の階層分化が進み、没落する農民も出てきました。こうした農村の変化について、東京書籍版のていねいな記述がとても参考になります(106頁)。また、農村の階層分化をわかりやすく生徒に理解させるには、近畿の一農村である「河内国下小坂村」を事例にしたグラフを使うのが有効です(『神奈川県版総合歴史』浜島書店、88頁)。このグラフから、18世紀には小農以下の農家が、全体の7割以上を占めるようになり、農村に格差が広がっていることが分かります。

2 田沼意次の改革 江戸幕府が開かれてから、新田開発などによって米の生産高が順調に伸びてきたのに対し、18世紀後半以降は天候不順により、凶作と飢饉に見舞われます。年貢は天候にも左右され、安定した収入が望めません。一揆・打ちこわしも増加します。年貢に依存する限り、幕府の諸改革は成功しないとも言えます。年貢増徴策に限界を感じた田沼意次は、蝦夷地でとれた海産物の乾物(俵物)や銅を盛んに輸出して長崎貿易を活発にするなど、年貢以外の収入増大政策を積極的に展開しようとしました。しかし、田沼政治が飢饉によって終わりを告げたように、天災に耐えられる財政の仕組みを作り上げるには至りませんでした。

3 松平定信の改革(寛政改革) 定信の政策は緊縮財政でした。しかし、定信が直面したのは、農村の変化と農村から都市への人口流入などによる都市問題でした。幕府は、寛政の改革で、農村から流入しつづける人々に対してどう対処したのか、農村に対して一揆を防ぐために、天災や飢餓対策として米の備蓄を行わせたこととも併せて、生徒に考えさせてみたいところです。

ここが問題

1 この教科書の全般にわたって言えることですが、民衆の姿が見えない記述になっています。この単元では、貨幣経済の浸透による経済変動から一連の改革が実施されるが、それは民衆への負担を強いるものであり、一揆や打ちこわしにつながったという「道筋」が、この教科書では見えてこないのです。百姓一揆のピークがそれぞれの改革や飢饉と相関していることを示す帝国書院版の「②百姓一揆の発生件数」グラフ(帝国126頁)などを活用すると良いでしょう。改革や飢饉など生活負担の高まりと民衆の動きとが、連動していることを、グラフからとらえさせ、この時代の概略を押さえさせましょう。

2 116頁11~13行目「新田開発を行ったり、年貢率をあげたりして、年貢収入の増加に努めた。これによって、幕府財政の立て直しに成果をあげた」。享保の改革について、吉宗は豊作・不作・飢饉に関係なく一定の年貢を徴収する定免法を採用し、年貢率を引き上げました。それは、サツマイモのような救荒作物でしのいでも、年貢を必ず納めさせるという、幕府の厳しい姿勢を示すものです。「歴史のこの人」(117頁)の青木昆陽もそうした文脈でとらえる必要があります。この教科書に即して授業を展開すると、支配者である幕府の目線でいえば、「立て直し」の歴史になりますが、享保の改革に見られる幕府収入の拡大も、年貢率の増大や冥加金の徴収など民衆からの収奪を強化することで「成功」したのです。負担の増大に苦しむ人々が、百姓一揆や打ちこわしによって、支配者に対して「異議申し立て」をした経緯も、学習していきたい項目です。

3 117頁11~12行目「田沼の政策は目新しいものだったが、大商人が幕政に深くかかわり、その結果、賄賂が横行して批判をあびるようになった」とあります。この教科書に限らず、多くの教科書が田沼政治の特徴に賄賂の横行をあげています。しかし、賄賂は田沼時代特有のものではありません。他にどのような批判や不満が、田沼の政治に鬱積していたのかが問われます。最近の研究では、諸藩の財政を困窮させてまで遂行された田沼の専制的な政治手法が、批判や不満の背景にあったことも指摘されています。

4 118頁3~4行目「定信の改革の中心的な柱は、農村の再建だった。そのため、江戸などの都市に流れ込んだ農民に、資金をあたえて故郷の農村に帰した」とありますが、なぜ農民が農村を捨てたのかについても説明が必要です。農村が抱えた社会変動(貨幣経済の浸透、農家の支出拡大、豊作による米価の下落、収入の減少、天災、重い年貢、家産の没落と階層分化など)を想起させましょう。

アドバイス

この教科書では、「江戸の人足寄場」が紹介されています(118頁左上の図)。定信が出した旧里帰農令は農村の生産人口の増加と江戸の消費人口の抑制が狙いでしたが、こうした施設を建てざるを得ない程に、都市への人口流入が進んでいたといえます。この教科書は「職業訓練」施設と説明していますが、過酷な作業や扱いの厳しさから、寄せ場送りは、当時から恐れられていました。しかも、施設は次第に所払いとなった無宿者を収容する徒刑場の性格を持つようになりました。定信の都市問題対策の一例である「人足寄場」は、都市問題の解決ではなく、むしろ都市問題解決を先送りする政策であったことが指摘できます(松本四郎「江戸の無宿と呼ばれた人々は、どんな生活をしていたか」歴史教育者協議会編『100問100答日本の歴史』4巻、河出書房新社)。