自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
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江戸の町人と化政文化(Vol.2)

江戸の町人と化政文化
    「41江戸の町人と化政文化」,「江戸の下町へタイムスリップ」120~123頁

ここで学びたいこと 

1 江戸が中心となった化政文化 江戸時代の後半期になると、江戸は100万人の大消費都市として繁栄します。武士の支配する政治的都市「天下のお膝元」で人口の約半分を占めたのは町人でした。豪商の出現とともに、中・下層の町人たちが次第に経済力を持つようになり、豊かな町人文化を発達させる担い手となりました。

2 庶民の親しんだ文芸 小説・川柳・狂歌 寺子屋の普及だけではなく、町人は店の看板・蕎麦屋の品書きの札など日常の生活環境からも、読み書きを身につけることも多く、識字率が高まりました。内容は、『東海(とうかい)道中(どうちゅう)膝栗毛(ひざくりげ)』に代表される滑稽本(こっけいぼん)をはじめ多種多様。文字にはルビがふってあり、挿絵のあるものも多く、庶民の娯楽として親しまれ、貸本屋が繁盛しました。一方で、社会批判的な小説は、厳しい取締りを受け弾圧されました。例えば、寛政の改革の時、洒落(しゃれ)本(ぼん)作家の山東(さんとう)京伝(きょうでん)は、手鎖50日の刑を受け、版元の蔦屋(つたや)重三郎(じゅうざぶろう)も財産の半分を没収されました。町人たちは政治に翻弄され「お上には逆らえない」状況でも、諷刺や皮肉の精神を発揮しています。

3 浮世絵の人気は 役者絵・美人画・力士絵・風景画 錦絵と呼ばれる多色刷りの版画の技術が生まれ、安価で販売できるようになり、浮世絵は全盛期を迎えました。この背景には、歌舞伎や寄席、相撲、旅など、経済的な余裕を持つようになった町人たちの娯楽のひろがりがありました。
 121頁に歌舞伎の絵があります。舞台、満員の客席(桟敷・1~3階・舞台の袖付近)、花道、などの様子を観察させてみましょう。花道では市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)が『暫(しばらく)』を演じる名場面です。「成田屋(なりたや)!」と声がかかっていることでしょう。歌舞伎の興行は、朝6時ごろから、昼食をはさんで夕方まで催されました。封建制社会のさまざまな抑圧に置かれていた町人にとって、芝居小屋という独特の空間で、実際はかなわない願望が舞台で具現されていくのですから、これほど解放されるひとときはありません。しかも、派手な隈取や豪奢な衣装と道具による様式美に魅かれ、役者への憧れを募らせました。人気の高い役者絵は、飛ぶように売れたそうです。木戸銭(きどせん)の出せない町人は、せめて役者絵をと買い求め、寄席などを楽しみました。

4 地方文化の発達 陸上の交通路も水上の航路も急速に整備され、ネットワークができ、物も人も頻繁に交流するようになりました。三都の文化は、城下町や港町をはじめ各地に伝えられ、独自の文化が栄えるようになりました。例えば、農村でも、小林一茶(俳人・信濃)や良寛(りょうかん)(歌人・越後)などが優れた作品を残しています。

ここが問題

1 120頁の冒頭~8行目は、用語や記述などに学問的裏付がありません。意味が分かりにくく、教科書としては、不適切な説明です(本冊子92頁、コラム「貨幣経済と米経済の攻防って何?」参照)。

2 江戸中心の説明しかなく、地方の文化についての視点が見られません。 例えば、各地に芝居小屋ができ、農村歌舞伎なども演じられるようになりました。また、地方都市の発展の姿として北前船の拠点のひとつであった酒田の例(帝国118~119頁:歴史の舞台⑤酒田/豪商のくらし)は、イメージを高める教材です。

3 123頁6~13行目 ヨーロッパにおける「ジャポニスム」の扱い方が、問題です。
 「モネ、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ロートレック、ゴーギャンなどだ。いずれも今日、世界のもっとも有名な画家であり、その中のいく人かは、印象派という近代絵画最大の変革の旗手として知られている。江戸の町人文化の中から生まれた浮世絵がこのような画家たちを刺激して世界の文化を動かしたのだから愉快ではないか」。
 この画家たちが、浮世絵の影響を受けたことはよく知られていますが、浮世絵が、「世界の文化を動かした」とは、誇張です。19世紀半ばのジャポニスム以前に、ヨーロッパでは16世紀後半から18世紀にかけて、シノワズリー(中国趣味)が流行し、中国風の室内装飾や美術工芸品が愛好され、収集されました。このことには全く触れずに、日本文化の影響だけを強調し、個人的な感想の記述で締めくくるのは、教科書としては適切ではありません。文化の交わりや影響は、多種多様です。事実を客観的に示すことで、その広がりを学べます。帝国130頁には広重とゴッホの絵が並べられての設問があります。生徒に観察と思考をさせながら、絵解きをすることの方が、関心を高め発見する楽しい授業が出来るのではないでしょうか。

アドバイス 

1 江戸時代の町人になったつもりで、川柳や狂歌にこめられた皮肉を、探ってみましょう。
川柳 「かみなりを、まねて腹掛け やっとさせ」「役人の子ハ にぎにぎを よくおぼえ」「侍が 来てハ買ッてく 高やうじ(楊枝)」
狂歌 「白河の清きに魚もすみかねて、もとのにごりの田沼こひしき」
  「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶ(文武文武)と夜もねられず」

2 庶民に人気のあった屋台でのファーストフードの話です。寿司といえば、それまでは、関西と同じ押しずしで、江戸前の浅瀬で取れた雑魚(ざこ)を処理する食物でした。今の「江戸前」(握りずし)が発明されたのは文政(ぶんせい)期(1818~1830)だといわれています。天麩羅(てんぷら)は安永(あんえい)年間(1772~1781)に江戸で流行しはじめました。関西で菜種栽培が盛んになり、食用油が普及していたので、江戸前の魚貝を素材にして、ころもをつけて簡単に揚がり、腹持ちの良いものとして愛好されました。江戸前も天麩羅も美味しく味わえたのは、濃い口醤油が、江戸で普及していたからです。それは、千葉県の野田や銚子で生産されていました。

3 「幕の内弁当」の由来は、歌舞伎の幕間(幕の内)の休憩時間に、桟敷や土間で食べた簡便な弁当です。箱を仕切って、野菜の煮物・焼魚・玉子焼き・漬物、などを見栄えよく盛り、黒ゴマを振りかけた俵型のご飯を詰めたものが一般的でした。