自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
■まず、私たち「横浜教科書研究会」のこと、そしてこれまでのとりくみについてご紹介します。
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■自由社版教科書を使用して授業をしなければならない、現場の先生方、保護者の方、自由社版教科書を使っている中学生を指導される塾の先生方に、お読みいただきたい冊子です。 
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新しい学問・思想の動き(Vol.2)

新しい学問・思想の動き

                                          「42新しい学問・思想の動き」124~125頁

ここで学びたいこと

       
1 寺子屋の普及 江戸時代後期には、新しい学問といわれた国学や蘭学などが成立、発展し、武家だけでなく、上層の農民や町人にも国学や蘭学が浸透していきました。一方、庶民の子どもが通った寺子屋では、男女をとわず、生活に必要な基本的な読み、書き、算盤を学び、読み書きの出来る人びとが増えました。寺子屋では、和歌や儒学の手ほどきを行うこともありました。寺子屋が普及し、百姓や町人のなかからも知識や学問への関心をもつ人たちも現れるようになり、新しい学問の発展の背景にもなったのです。

2 国学の成立と内容 儒学の主流をなした朱子学は、幕府の官学的な地位を占めていましたが、17世紀半ば以降になると、不安が増していく現実社会に対応できない朱子学の内容に反発する動きが次々とおこってきました。国学も儒学を批判して成立しますが、寛政の改革では、朱子学以外の学問が禁止されました。
 国学を大成させた本居宣長は、日本人の素朴な心情を明らかにするために、古典を30年以上研究し、当時読まれることの少なかった『古事記』の研究をおこないました。宣長は、理想とする政治が行われず、一揆や打ちこわしなどがおこる現実の政治への批判も述べています。一方、朝廷崇拝すなわち尊皇の考え方が政治の基本であることを説きました。そして「日本の神話が世界で最も優れている」、「日本は世界を政治的支配のもとに置くのが当然」といった自国の優越性も主張しています。その後の国学は、次第に排外主義、国粋主義の傾向を強め、幕末の尊王攘夷論に大きな影響を与えました。

3 蘭学(洋学)と新しい学問の成果 蘭学(洋学)は、おもにオランダ語によって学ぶ西洋の学問のことです。8代将軍吉宗の実学奨励が糸口となって発展しましたが、これまでの学問では解決できなかったことが究明できたことで、科学的探求心が育ち、学問研究発展の基本となりました。芸術、科学などいろいろな分野で活躍した平賀源内が出たほか、杉田玄白等の『解体新書』の出版、伊能忠敬らの日本地図作製など、蘭学はめざましい発展を遂げました。蘭学者や医学者を数多く育てたシーボルトの功績もあります。
 新しい学問といわれた蘭学(洋学)は、それぞれの学者の地道な研究や努力もあって発展してゆきました。オランダ語の解剖書を翻訳した『解体新書』は、ただの翻訳ではなく、神経、骨髄、筋肉、盲腸…などそれまでの日本語にない新しい医学用語を作る努力もしています。東書114頁の2つの図を見れば、オランダの解剖図が、それまでの医学書との違いが明らかに理解できるでしょう。
 伊能忠敬の偉業は、56歳という当時としてはかなりの高齢から研究を始めたこと、海岸線を地道に歩いて3年間で9千キロも測量して驚くほど正確な地図を作ったことです。これは伊能個人の業績だけでなく、伊能に協力する人びとと幕府の援助がなくてはできない事業でした。幕府も各地の実情を探りたいため、各藩に測量への協力を命じました。さらに現在の数値と比べても誤差は1000分の1という正確さで、地球の大きさも測定しました。

ここが問題

1 天皇家とのつながりの強調  「万世一系」(124頁13行目)の用語は、幕末に藤田東湖、会沢正志斎が主張したとされていますので、宣長が使っているわけではありません。また、天皇の権限が時代によって異なるのに、同じ皇室という用語を使うことは誤解を生じます。他の教科書には出てこない「皇室」「万世一系」を使うことは、無理に天皇を印象づけてしまうと思われます。

2 125頁9行目「海防の必要」という記述。外国船の接近については、時期や内容をていねいにみてゆく必要があります(「欧米諸国の新たな接近」の項参照)。

3 125頁11~16行目 会沢正志斎と頼山陽の説明。漢文で書かれた彼らの著作を幕末に読んでいたのは、主に武士階級と一部の上層の町人、農民だけです。尊皇的歴史観が評価されたのは戦前の昭和期になってからであり、幕末に彼らの著作が広く読まれたことで、「国民としての自覚をつちかった」とまでいうのは問題です。

4 124,125頁 この2ページに出てくる文化の担い手が11人という多さ。中学生の発達段階や説明に要する時間を考えると、会沢正志斎、頼山陽、林子平、石田梅岩などは、難解すぎるので他の教科書には出てきません。ほかの教科書では3~4人(本居宣長、杉田玄白、伊能忠敬、シーボルト)だけです。 

5 124頁上の寺子屋の説明 寺子屋の数。寺子屋の数を全国で約1万としていますが、寺子屋が増えるのは18世紀後半以降で、数も幕末には約1万6千(『日本教育史資料』)といわれています。さらに、この数の2~4倍もあったという説まであります(『江戸の寺子屋入門』など)。

アドバイス

 この授業では、寺子屋が普及したこと、新しい学問が成立したきっかけ、内容、研究方法、成果について具体的な説明をして、生徒がイメージしやすくし、それぞれの学問がどんな社会背景でおこったのかを学ぶことが、重要です。